毎年出品しております独立展に今年も出品させていただくことになりました。
今年は賞候補をいただき、二作品展示しております。
会 期:
2015年10月14日(水)-26日(月)
※20日(火)は休館日
10:00AM-6:00PM
入場は閉会の30分前まで。
16日(金)と23日(金)までと24日(金)は8:00PM まで。
最終日(26日)は3:00PM閉会。
入場料:
一般 700円
※大学生以下、障害者、70歳以上の方は入場無料となります。
※6:00PM以降は無料です。
会 場:
国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
お立ち寄りいただければ幸いです。
蔵野
映画を二本観た。
「野火」
「シロナガスクジラに捧げるバレエ」
学生の頃は単館映画も足しげく観に行ったものだが、一月の内に映画館に二本観に行くのは随分久しぶりだった。
「野火」は高校生の頃に大岡昇平の原作を読んで衝撃を受けた。衝撃の記憶は鮮明だが随分前に読んだ小説でもあり、細部まで覚えている自信はなかった。だが映画を観てまざまざとその衝撃が甦った。
小説の映像化で映像が優っていた経験はあまり無いのだが、この映画は観ている私に文章的な印象を思い出させるものだった。
物語についてはあえて触れない、
人間が人間であるが故に人間でなくなる、それでも人間であるという恐ろしさ。そこに自然は美しく存在し、残酷なまでに沈黙する。
そんなことを呆然とした頭で思い浮かべながら帰路についた。
あと、リリーフランキーさん演じる役の印象が(というかその役を演じるリリーフランキーさんが)、同じく武田泰淳の「ひかりごけ」に出てくる船長の印象を思い起こさせた。恐かった。
「シロナガスクジラに捧げるバレエ」はセリフは無く、チェロとピアノによる音楽のみの無声映画。
友人の縁があって観させてもらった。
ちょっと「蛍の墓」を思い出した。
二本の映画とも、物語は全く異なるが、人間の織り成す所業の周囲で大自然が圧倒的に美しいのが印象的だった。
人間の有り様には関係無くただ存在し、美しいと感じたり、癒されたり、或いは脅かされたり侵食するのは人間側で、自然は人間が何をしようと無関心にあり続ける。
少し前に描き上げた自分の作品に、海に関する言葉をタイトルとして付けた直後だったこともあり、そんなことが妙に気になった。
柳田
松本竣介(1912~1948)という絵描きさんがいます。2015年8月末に、彼の描いた風景の地を私は訪ねました。
『市内風景』と題された油彩作品は1941年(昭和16年)に描かれました。その場所は東京・神田/一ツ橋講堂と如水会館の裏手にあります。丁度私の背に首都高速道路がかかります。竣介が見た当時の建物も空もありませんが、わずかに湾曲した手前の道路が、名残を留めています。
お昼時と重なりました。見る見る白ワイシャツの集団が出来ました。紫煙をくゆらせて和んでいます。女性は一人、紺のジャケットを羽織りこちらを見ています。この集団の顔の照りやいっぷくの笑いは、陸にあがった亀のように見えました。しかし、何故かこの日常の形はとても大切なものにも、私は感じました。湾曲道路のプラタナス(街路樹)の葉はシンナリとしてありました。
その後、私は御茶ノ水駅聖橋に向かいました。
『並木道』という絵は1943年(昭和18年)頃の作品です。画面の色調や形態は、彼の詩情が織りこまれたものと思います。画面中央の街路樹のスケールに私は圧倒されるばかりです。
目の前の街路樹のイチョウの木を画面のそれに似せてもいます。次に、左手の方の紅梅坂を見やりました。全体、自然にJR御茶ノ水駅聖橋口に私の目は合わせて行きます。あっという間に時間が過ぎました。とても有意義な場所に立たせてもらいました。変わらずにある御茶ノ水駅の駅舎の高さには、いつもに増して感謝してしまいました。
ぼんやりした私の気分は、画面右下にある、普段は決して通ることはない幽霊坂に向かわせました。
(佐藤)
謹啓
この度、上野桜木の櫻木画廊で展示/「東京」ノート、「岩手」ノートその2(2015.09.08~09.20)発表することができました。御足労ねがいました。ご覧いただき厚く御礼申し上げます。
2015年8月
佐藤比呂二