東京に雪が積もると高尾山へ行きたくなる。
まだ学生の頃、東京ではかなりの積雪になった翌日、学校へ行こうと中央線に乗ったものの、何となく降りるべき国分寺を通り過ぎ、そのまま高尾まで行ってしまった。
雪景色に誘われてしまった。
雪があっても何とか登れそうな参道の山道に入ると空は快晴なのに、山陰の道は薄暗く人っ子一人いない。雪でキンと冷たい空気は静寂に包まれて、時折木々の枝から雪がドサッと落ちる音に目をやると、落ちた雪の欠片が尾を引くようにキラキラと舞っているのを見た。この空気の中に一人いることがとても尊いことに思えた。
山頂に行くまでに数える程にしか人に出会わず、山頂にも数人の人がいるのみだった。前日の雪とは打って変わって快晴だったその日の日射しに新雪が眩しく、あまりに美しい表面に顔を近づけてみると六角形の雪の結晶を肉眼で発見し、日に照らされてうっすらと蒸気を上げる雪の面が七色に光っていた。
手元にカメラが無かったことをその時は悔やんだが、あの日みた情景を写真に納めることは不可能で、写真に切り取って残さなかったからこそあの空気の感触を今でも鮮明に覚えているのだと思う。
あの日体験した光景が忘れられず、それから何回か雪の翌日の高尾山に行ったことがあるが、あんなに人が居なかったことはその後は無かったし、雪を纏った木々の姿もあの日程神々しい日は無かった。
同じ場所へ行っても出会えない一期一会の景色というものもあるようだ。
柳田
車の免許をとった。
車の運転は思っていたよりも難しく、これだけ多くの車が川の流れのように、事故も起きずに動いていることが不思議にも思われる。
免許をとって2ヶ月、僕の運転はまだ辿々しく、事故を起こさないように気を張っているため、肩がこってしまう。
今のところは、とてもドライブを楽しめる状況ではない。
自分の技量に不安を感じたが、友人らに話を聞いてみると、免許をとって数ヶ月はみんな同じように感じるらしい。ちょっとほっとした。
また初心者マークの車を見かけると、友達のような親近感を感じたりもする。
免許をとって嬉しいものの、実は今は、助手席にいる時が一番楽しい。友達に運転してもらっているとき、車は、またドライブはつくづく素晴らしいと思う。
いつかは、自分一人で運転を楽しめるように、時間を見つけては少しずつ練習している。
不安なく運転ができる日が、近くなることを願うばかりである。
蔵野
年の瀬。
昨日でやっと講師をしているすべての絵画教室の
大掃除と忘年会が終了。
やれやれと家に帰って自分の部屋を見渡してみれば、
散らかり放題のキャンバス、油絵具のチューブ、
筆、紙類その他諸々。
掃除をする気力体力はすでに使い果たし、
ここもきっと誰かが掃除してくれるなどと
淡い幻想を抱きたくなるが、
現実はそうもいかない。
「せめてパレットだけでも」と最後の気力を振り絞り
一年間のうちに隆起した絵具の山脈を削りながら
今年の自分の作品を振り返る。
「あそこをああすれば良かった」
「ここがまだ納得いかない」
「次はここをこうしたい」
などなど、思うことは反省ばかり。
どうやら先に大掃除をしなければいけないのは
頭の中のようだ。
いつの日か「今年は良い絵が描けた」と
清々した気持ちでお茶を啜りながら、
ゆったりと過ごす年末年始が来るだろうか。。。
孫崎