ここ最近、上野の美術館では展覧会が盛況だった。
若冲、黒田、カラヴァッジオと会期が重なり、
近い場所で3つもあるとついつい梯子をしたくなるものだが
なかなかそうも行かず(学生時代は体力に任せてよくやったが…)
会期中は毎週のように上野に通う羽目になってしまった。
若冲は言わずもがなの混乱ぶり。
展示内容も筆舌に尽くし難いほどの圧倒的なものばかりであったが、
残り2つの展覧会も色々と考えさせられる機会となった。
黒田清輝とカラヴァッジオ。
時代も画風もまったく異なるこの2人の作品を見ながら、
絵画において「リアリティ」とは一体何なのだろうと、ふと思う。
カラヴァッジオと言えば、
それまでは全方向的な光でしか描かれてこなかった絵画から
光源を一つに絞り、強烈な一方向だけの光線を取り入れて
聖書に書かれた人物やドラマティックな場面が
等身大で描かれていて
あたかも目の前で繰り広げられているように描き出した。
当時の人たちにとってそれは、書物でしか知らない人々を
まさに現実のことのようにリアルに感じられたのだろう。
カラヴァッジェスキと呼ばれる多くの追従者がヨーロッパ各地に広がり
いかに彼の手法が驚きと興奮をもって受け入れられたのかがよくわかる。
一方、黒田はフランスで印象派の技法を学ぶ。
色彩豊かに描かれた風景画や人物画は
カラヴァッジオとは違ったリアリティを描き出している。
それは自然の一瞬の輝きであり、空気感であり、
あるいは描かれた人物の人柄であったりする。
描かれているのは常に、その時その時で画家が感じたリアリティである。
方法は違えど、どちらもリアルを“感じる”作品である。
リアルに“見える”ものとは一線を画す。
ところが最近の世の中を見渡してみると
高画質テレビやCGゲームなど
『本物そっくりに見える』が何かにつけて宣伝され、
それが絵画においても、飛び出すような3D絵画や写真のような絵
(そのすべてを否定するわけではありません!)が
「リアルだ。リアルだ。」ともてはやされているのは
こうした風潮の影響なのかもしれない。
絵画においてリアリティとは表現する人と鑑賞する人がつながって、
初めて発生するものだと思う。
たとえ写真のように描かれていなくても、伝わればリアルなのだ。
作品と鑑賞者の中間に、リアリティは存在する。
2つ展覧会を見て、そんなことをつらつらと考えた。
孫崎
自由美術協会という団体の東京展に出品致します。
上野にお越しの際はお立ち寄り頂けたら幸いです。
東京自由美術展
2016年 5月22日(日)~5月30日(月)
東京都美術館 (上野公園内)
1階 第4展示室(入口ロビー階の一番奥のエレベーターを上がって下さい)
午前9時30分~午後5時30分 (最終日~午後2時)
入場無料
さて先日、都美術館に搬入、展示作業に赴いたのだが、前回触れた若冲展がえらいことになっていてぶったまげた。
入場を待つ行列の果てが見えない。
搬入のため美術館の裏へ歩いていくと、美術館から伸びた列が芸大の方でとぐろを巻き国立博物館の方へ更に伸びている。4時間とか5時間待ちだと看板持った係のお兄さんが叫んでいらっしゃる。
このお天気の良い中、大丈夫なのだろうか。美術館へ辿り着く頃には体力を使い果たしているんじゃないかと、行列を見ただけで疲労を感じた。
私が行った時は混んではいたが、ここまでの過熱ぶりではなかった。素晴らしい作品群の圧巻の展覧会だが、こうなると行列を見ると並びたくなる習性(私には皆無の習性)の人が集まっているのではないだろうか、とか穿った考えまで浮かんでくる。若冲翁もさぞ驚いているだろう。
取り合えず早めに観に行っておいて良かった。
若冲翁には及びませぬが自由美術展はゆったりと御覧になれます。お時間ございましたら御高覧下さい。
柳田
様々な展覧会が催されている。
駅等でも色んなポスターを見かけて、国内外の様々な芸術に触れる機会があることを知らせてくれるのだが、いかんせん中々美術館に足を運んで観に行くことが出来ない。中には開催していることにも気付かず見逃しているものもあるし、観に行きたいと思いつつ、いつの間にか終わっていることも少なくない。
以前、まだ予備校生だったころ、講師の方に怒られた記憶がある。曰く東京在住の有り難さを解ってないとのこと。その頃お世話になっていた講師達は地方の出身の方が多く、地元にいた頃は本物を観る機会に飢えていたそうだ。
美術館も多く、豊富に実物を生で観られる機会があるのを無駄にしてくれるな、と切々と説かれた。
さて、若冲展を観てきた。
感想は私の乏しい語彙では中々言い表せないので控えておくが、少し前に観た展覧会をいまだ引きずっている。
話題になっている展覧会でもあり、かなり混んでいたが、中には遠く北海道や九州から足を運ばれる方もおられるらしい。自分が上野が遠いなどと言ってはならんのだなと実感した。
書籍や画集、インターネット等も充実して様々に作品を観賞することは出来るのだが、やはり作品を間近で直に観るというのは写真や画像を観るのとは次元が違う凄さがあった。
観賞する機会が有り、環境にいるということに感謝したい。
柳田