4月に荻窪のギャラリーにて開催した6人の作家によるグループ展。また5月に東京都美術館にて開催された東京自由美術展にお越し下さった方々、誠にありがとうございました。
あまりお知らせもしなかったにも関わらず、足をお運び頂いき、本当に有り難いです。遅くなりましたが、この場を借りて御礼申し上げます。
さて、グループ展や団体展に参加し、その展示作業を経験することが少しずつ増えてきた。
どんなグループのどんな展示でも、展示作業の難しさを実感している。
どの作品とどの作品を並べたら作品が観えるか。並びによってその壁が全然違って観え、やり方を間違えると個々の作品が観えなくなってしまうこともある。並びによって作品の観え方がここまで違うのか、といくつかの展示作業で目の当たりにした。良い展示会場をつくるのは本当に難しい。
尊敬する先輩作家さんが、「展示会場の壁をつくることは、作品を制作することと同一だ。」と言っておられた。衝撃だった。その作家さんはとてつもない集中力と鋭い感覚でもって作品の並びを見抜いていった。
もちろん今までの個展でも作品の並べ方には気を配ってきたが、振り返って果たして過去の自分の個展でも、それが出来ていたのかと考えると、自信は無い。
上手く言葉に出来ないが、鋭い感覚が必要だと、近頃痛感した次第である。
柳田
5月8日の月曜日。手の甲に何かが動いている気配がして目が覚めた。目を凝らして観る。凝らして見ないと分からない生まれたばかりの蟷螂《カマキリ》だ。僕の手の甲で、ムズムズと張り付く感じで蟷螂《カマキリ》3~4匹が斧を振り上げ振り下ろしている。事はわたしの寝床で起きた。身に掛かる毛布の先々に目をやる。スロモーション動作で起きあがる。すっかり眠気がとんで全体覚めてしまった朝。
翌日の火曜日。今朝も蟷螂《カマキリ》の斧とカマ。半透明であまりにもちぃっちゃ体つき、それでもしっかりとしがみ付いて執拗だ。赤ちゃん蟷螂《カマキリ》の世の中に出たいきさつをアレコレ考えた。
確かに、去年の秋にアスファルトの道路で1匹の蟷螂《カマキリ》を、独り斧、カマを振り上げていたのをしばらくは見た事実。自宅に持ち帰った事実。私の蟷螂《カマキリ》の話から、知人が枝付きごとくれたシルバーホワイトのようなくすんだ白い塊の巣をくれた事実。今年の春か?
5月10日水曜日。またまたまた!二の腕に上がって来る気配で目が覚めた。数が倍になっていた。これは流石にちょっとシンドイ気分。白い塊は外の日陰に移した。カマキリ同士が番(つなが)って
いる風景。
その日の午前中早く家を出た。地下鉄丸の内線御茶ノ水駅で降りてそれから神田神保町の古本街に向いてブラブラ歩く。関東大震災後も店舗連なり残ったところ十字屋さん前で足が止まる。店にたつ婦人の佇(たたず)まいが好きだ。十字屋さんの書棚はすでに3分1が空になっている。この店のこの状況では未来は厳しい。現実をあらがっても見えるが、わたしは諦観した静けさを感じ、むしろ、身をまかせている感じがする。この潔さと婦人の眼の強さに会いたくて来てしまう。魅きつけてやまない。
私は店舗入口すぐの書棚から、串田孫一著の新刊を開いた。
支払いを済ませて「また、お店に寄らせてもらいました」と婦人に挨拶した。お客は僕ひとり。眼の前の今日の婦人は饒舌だった。今は、本のカバーは紺一色になった事、3階は開かずの扉、急な階段の昇り降りの様子。以前聞いた話が重なっても、ちっとも飽きない。
時間があればいくらでも、彼女の話を聞いていたいが、わたくし事の時間が押して来たので、仕方なく、そこを納めた。「また、寄らせてください」と店を出た。
串田さんの地球人生89年。購入した本の著作者・串田孫一さんは2005-07-08に亡くなっている。『緑の色鉛筆』の新刊本のページを捲(めく)ると串田孫一さん自身のカット絵が出て来る。左ページ下に堂々と2匹の蟷螂《カマキリ》が現れる、そのページに目がとまる。
2017年5月。出会いというより出会わせてくれた。蟷螂《カマキリ》の斧が、わたしの・・・地球人生の空に入ってきた。
佐藤