|東京都千代田区|秋葉原駅・岩本町駅|油絵/アクリル/水彩/デッサン/銅版画|

twitter LINE Instagram

ブログ

ちゃんと告知します。(柳田)

またもや、あまりお知らせもしないままグループ展に参加しました。教室でひっそりDMを置かせてもらうくらいの告知にも関わらず、足をお運び下さった方々、誠にありがとうございました。
会場までわざわざ来ていただける、作品を直に観ていただけるということが本当にありがたいです。

どうも告知を忘れてしまうので、来月の展示の告知をこの場を借りて早々にさせていただきます。

自由美術展
国立新美術館
10月4日(水)~10月16日(月) [休館日10月10日(火)]
午前10時~午後6時 (最終日は午後3時閉会)
入場料 大人800円 大学生500円 無料 小中高、障害者、70歳以上

お近くにお越しの際はお立ち寄りいただければ幸いです。
現在目下制作の追い込み中です。

柳田

柳田祐希の画像
柳田祐希 2017/09/09 00:03

出会うこと巡ること・・・その4(蓴菜《じゅんさい》)(佐藤)

冷蔵庫の中に【蓴菜(じゅんさい)水煮】の瓶がある。栓を抜かないでそのままにしてある。ラベルに印字された賞味期限は2015、7、1。

7月の末、東京武蔵野美術学院の前学院長の田村直樹先生にお会いすることが出来た。友人の絵描きさん細川貴司さんがこの機会を用意してくれた。

25年が経っていた。

田村先生は会うなり、うなぎ蒲焼を食べに行こうという。国分寺駅南口徒歩1分の《天松》に連れて行く。随分と長い間ご無沙汰していているので緊張するが、何を話していいか分からない。着くなり生ビールを注文してくれ「お疲れさま~」の乾杯で始まった。

自分の話をしてくれた。兵庫県の上の方の田舎で生まれ育ったという。子供時分は親父に連れられて、うなぎの罠を仕掛けて獲ったという。高知出身の細川先生も仕掛けに詳しく、二人で両手を広げてかたちや大きさを示してくれる。田村先生は取り逃したうなぎを目の前にある様に破顔一笑して話すので、話に飽きがこない。

鮎、うなぎ、ヤマべのこと。飼ってたニワトリがイタチに首をとられたこと。カワウソが出て来たのには驚いた。絶滅種のカワウソをじっさいに見たひとがここに居る。テーブルの真向かいに座っているひとがそうだ。その事も何かとても嬉しく感じられた。獺(かわうそ)の祭と書いて【獺祭(だっさい)】というお酒がありましたネと言ったら、田村先生献立表を開きながら「獺祭ある~」、「呑もう呑もう」と田村先生直ぐに注文してくれた。「美味しい」と細川さんが声に出す。私は頷いた。

田村先生は初め建築ではなく、絵を目指したのだということも教えてくれた。三人はどうしても話が絵の関係、美術関係者になってしまう。私はたのもしいくらいに自然や河川、動植物、人とが豊かな空間を成していた時代が確かにあったことを出来ればもうしばらく聞いていたかっが、、、。田村先生は草取り片付けが大変で田舎の地所もそのうちスッキリしたいともいう。

「奥さんはお元気ですか?」と私は切り出した。

3年前に亡くなったという。私はボンヤリと色白で綺麗な顔が浮かんで消えた。知らないこと無沙汰を恥じるばかりだ。頭を下げた。

田村先生さらに【蓴菜(じゅんさい)】を注文してくれた。味付けされた、エビも一緒に盛り合わせて美しい。その小鉢の中の小さな粒の様なのが【じゅんさい】だ。この《じゅんさい】は私の知っている【じゅんさい】ではなと思った。これでは、喉ごしにかかる柔らかでなんとも言えないぬめりゴロゴロ感が同じだけじゃないのか?

形あっての世界に想いを馳せた。あの妙な形が、懐かしく、いい形として現れはじめた。

その時、女将がこの小さい【じゅんさい】が高価なんですよと教え示した。私は一瞬黙ってしまった。

田村先生は「女房は秋田出身なので、普段食卓にのぼる【じゅんさい】は酢漬けのシンプルなもので、添いものはあっても、、、」イメージを説明してくれた。田村先生の【じゅんさい】は愛おしいひとと繋がっていくものに感じた。

後日、冷蔵庫から【じゅんさい】の水煮の瓶詰めを見る。「あなたはオリーブグリーン色の妙な形のこの存在感に支配されたかったのでしょう」っと。【じゅんさい】の宿題はどうなったのですか。描かれたお茶碗の作品はいつ出来るの?・・・私の場合は再起動のスイッチを押してしまった様だ。

佐藤

佐藤比呂二の画像
佐藤比呂二 2017/08/07 20:58

夏休み(孫崎)

7月も終わり。
絵画教室に通う小学生たちは、先週から夏休みに入り
1ヶ月という長い長い休暇期間を
これから存分に楽しむのだろうなと
少しずつコントラストがはっきりしてくる
日焼けの跡を眺めながら想像する。

自分が小学生の頃はどうだったろう?
田舎に帰ったり、旅行に出かけたり、イベント盛沢山。
9月の新学期なんて、遠い遠い先のことのように
感じていたような気がする。

大人になった今はと言えば…
1ヶ月なんてあっという間。
秋の展示に向けて〆切が迫ってくる夏は
むしろ恐怖でしかない。

同じ1ヶ月という期間のはずなのに、
どうしてこうも時間の流れ方が違うのか。
一説によれば、その人が生きてきた年月に対して
時間の感じ方はこんな風に変わってくるのだという。

子供は生まれてからの時間がまだ少ない。
現在までの人生の時間を分母に、
1ヶ月を分子にしてみると
分母に対する分子の割合はそこそこ大きい。

一方で大人は、人生の時間が子供よりずっと長い。
分母は大きくなるが、分子となる1ヶ月は変わらないので
その結果、分母に対する分子の割合は
子どもに比べてぐんと小さくなる。

これが大人になるにつれ(年を取るにつれ?)
年月が早く感じる仕組みなんだとか。

そう言えば、パリにいた3年間。
もちろん絵も描いたけれど、
美術館を巡り、国を巡り、人と出会い、交流し
その3年という期間がとても長く感じて
当時は「人生の夏休みだ!」なんて言っていた。

けれども今は、3年後なんてすぐ目の前にあることのように
計画を立て、予定を考えて仕事をする。
過ぎ去った3年間なんて言わずもがな。
着実に年を重ねているという現実が
図らずも突き付けられたのである…。

先の分母と分子の理論からすれば、
人生の夏休みだなんて、
もうこれから来ることはないのかも知れないなぁ。
なんだか郷愁にも似た懐かしみを思い出しつつ、
つらつらと考えていたら、
またあっという間に時間が過ぎていくのである。

孫崎

孫崎かんなの画像
孫崎かんな 2017/07/27 23:07
1 43 44 45 46 47 64

投稿者

  • 2025年4月

     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    27282930  

最近の記事

(04/02)
お月謝改定のお知らせ
(05/16)
グループ展のお知らせ
(05/12)
展示のお知らせ(蔵野)
(12/31)
2022年の個展を終えて
(11/07)
(柳田)

過去ログ