最近、生徒さんから絵の下地について聞かれることが何回かありました。
私の制作では、エマルジョン地というものをキャンバスの裏に塗って、油絵の下地にしております。
エマルジョン地の作り方は、少しだけ面倒です。
私の場合は、炭酸カルシウム+チタニウムホワイト+膠水+スタンドオイル+卵黄をハンドミキサーで混ぜて、エマルジョン地を作っております。
いま、アクリル画を描いているため、この機会に色々な下地を試作しました。
下塗りに使用したのは、マットメディウム+炭酸カルシウム、マットメディウム+胡粉、胡粉ジェッソ、荒粒子ジェッソ、アブソルバン…などです。
画布は、キャンバスの裏、綿布、麻布を使っており、40枚ほど下塗りをしました。
これから、さらに増えると思います。
好みの問題もありますので、一概にどの下地が使いやすいということは言えないのですが、使いやすいものが見つかったら、またこのブログに書こうと思います。
蔵野
本日より「立軌展」が始まりました。
会場の東京都美術館には9月半ばの搬入以来、訪れることがありませんでした。
初日14時開場の30分前に到着してみると、
普段は他の展示スペースで絵画や書道などの団体展が催されているはずが、今年は軒並み中止。
例年なら秋の時期に合わせて海外から呼び寄せた美術館の目玉企画展も
コロナの影響で何も開催されず、事実上の貸し切り状態。
3つ併設されているレストラン・カフェも2箇所は臨時閉店し、
館内はガランとした空間と照明の消された空間がモザイクのように入り交じっていました。
あー、自分は今世界中で起きている歴史的な出来事の真っただ中にいて
自分の生活はその影響を受けているという実感が、ここでも湧いてきます。
100年後200年後、「2020年にcovid-19が世界中で大流行」という年表の中で、
名もなき歴史上の人たちの一端を担うことになるのかな、などと想像したり。
あと2か月で2020年が終わりますが、コロナコロナと言っているうちに
あっという間に終わってしまう年だったなと、多くの方が感じるのではないでしょうか。
きっとこの年を境に、あるいはきっかけに大小さまざまな事柄において
今までと変わっていくものが後々出てくるでしょうね。
私自身の今回の出品作も、コロナの影響で例年より制作期間がずいぶん削られ
「とにかく考えすぎず、やるしかない」と腹をくくった部分が功を奏したかどうかはわかりませんが
昨年よりちょっと作品に変化が出たように思います。
もしかしたら、コロナ禍が今後の転換につながってくるのかも⁉
孫崎
二人展の展示が、4月4日(土)から開催ではあったが、新型コロナ禍で自粛要請があり、広報は止まった。
相模原市民ギャラリーのスタッフは随分と二人に気を使ってくれた。
いつも以上だったと思う。
期間延長を検討して、その都度、メールで連絡をくれた。
自粛が明けても、作者は展示会場に詰めなくてもいいですよ・・・とのこと。
やんわりと人が集まる事を避けてほしい事情もわかった。7月31日(金)展示は終わった。わざわざ富山・黒部市からこのために来てくれる人があった。
7月10日(金)野見山暁治展に行く。
田園調布の一軒家で住まいの中に施設された画廊。
玄関で消毒し、そして検温される、スリッパは使い捨てであった。
「姫島」素描をここで見ることができた。
《野見山暁治の風景デッサン》(河出書房新社)の中で、この姫島のプロセスをこの本で知った。
あの時の野見山さんは50代、パリから帰る時、何よりも窓から見ていた風景を持って帰りたいと痛切に思ったという言葉もあった。
姫島を彼は上半身裸で描いていた。
彼が風景と向きあって入って来たり離れたりする様相を、ダイレクトに感じ手に伝えられるスゴサというか羨ましさというかーみせつけてくれた断片デッサン。
そして、ここでまた、姫島を見れるとは思わなかった。
本とは違って、額装の中の姫島は本とは違ってツンとして見えた。
8月。
今年も帰省しないでお盆が過ぎた。
部屋にお盆飾りをした。
ゆっくりしてお帰んなさいと声をかけた。
母の好きなアンパン、お酒は父 いつものお盆かもしれない。
暑い夏。ピーター・ドイグ展を国立近代美術館で見る。
展示会場が空いているのが良かった。簡単に真似ちゃいけないなと思って帰る。
絵は人かもしれないと思う今日この頃です。
蝉の話し。
ここ2年。郊外の木々が切られ基地が拡張しするばかり。蝉が本当に少ない夏だった。
2年前はあれほど駅構内に入って来た蝉たち。その様相は今後二度と見ないであろう。
今年の最後のに見た蝉は、帰途深夜。
光陽橋の駅寄り、仰向けになっっていた。近ずくとお腹から黄色かかった体汁が出ていた。
人が踏んだのだと分かった。
(佐藤)