芸術の秋ですね。
巷では海外美術館から借りてきた様々な企画展や
たくさんの美術団体や作家たちの展示が開催され、
私も毎週のように銀座や美術館に通う季節だ。
つい先日も東京都美術館へ足を運んだばかりである。
秋晴れの清々しい日和。
日曜日の上野駅は大勢の家族連れと観光客で
ごった返しているだろうと思い、
根津駅から谷中界隈を散歩しながら美術館へと向かう。
午前中にもかかわらず、展覧会は人集り。
作品を見るにはまず人の頭を見ないとたどり着けない・・・。
この画家の人気が高いことを改めて確認する。
クロード=モネは言わずと知れた印象派の巨匠。
パステルカラーで彩られた風景画のファンは世界中におり、
それは日本人も例外ではない。
しかし、その一見ソフトな風合いの作品ゆえに
一部の人々からはあまり評価されない部分があることも
また事実である。
だが、モネほど「見る」ということに厳しく、
「見えるもの」について探究し
表現しようとした画家はいないだろう。
「モネは眼である。しかし何という眼だろう」
セザンヌが評したその言葉はまさに
画家の制作姿勢を端的に表している。
それが顕著に見てとれたのが、
晩年に白内障を患った時期の作品だ。
眼の病気は画家にとって言わば致命傷とも言えるものである。
それでもモネは描きつづけた。
見えているものを見えているように。
あくまで自分の眼を通して見えたものを
キャンバスに留めようとした。
モネにとって「絵を描くこと」とは、
「見ること」とイコールなのだ。
奇をてらうでもなく、主張を声高に訴えるわけでもなく、
ただ単純な事柄を突き詰めていった先に
生まれてきた作品たち。
振り返って、自分は対象ときちんと向き合っているのだろうか。
しっかりと「見ている」だろうか。
柔らかな色彩の中に、スッと背筋を伸ばさなければいけない
大事なことを見た気がした。
孫崎
毎年出品しております独立展に今年も出品させていただくことになりました。
今年は賞候補をいただき、二作品展示しております。
会 期:
2015年10月14日(水)-26日(月)
※20日(火)は休館日
10:00AM-6:00PM
入場は閉会の30分前まで。
16日(金)と23日(金)までと24日(金)は8:00PM まで。
最終日(26日)は3:00PM閉会。
入場料:
一般 700円
※大学生以下、障害者、70歳以上の方は入場無料となります。
※6:00PM以降は無料です。
会 場:
国立新美術館
東京都港区六本木7-22-2
お立ち寄りいただければ幸いです。
蔵野
映画を二本観た。
「野火」
「シロナガスクジラに捧げるバレエ」
学生の頃は単館映画も足しげく観に行ったものだが、一月の内に映画館に二本観に行くのは随分久しぶりだった。
「野火」は高校生の頃に大岡昇平の原作を読んで衝撃を受けた。衝撃の記憶は鮮明だが随分前に読んだ小説でもあり、細部まで覚えている自信はなかった。だが映画を観てまざまざとその衝撃が甦った。
小説の映像化で映像が優っていた経験はあまり無いのだが、この映画は観ている私に文章的な印象を思い出させるものだった。
物語についてはあえて触れない、
人間が人間であるが故に人間でなくなる、それでも人間であるという恐ろしさ。そこに自然は美しく存在し、残酷なまでに沈黙する。
そんなことを呆然とした頭で思い浮かべながら帰路についた。
あと、リリーフランキーさん演じる役の印象が(というかその役を演じるリリーフランキーさんが)、同じく武田泰淳の「ひかりごけ」に出てくる船長の印象を思い起こさせた。恐かった。
「シロナガスクジラに捧げるバレエ」はセリフは無く、チェロとピアノによる音楽のみの無声映画。
友人の縁があって観させてもらった。
ちょっと「蛍の墓」を思い出した。
二本の映画とも、物語は全く異なるが、人間の織り成す所業の周囲で大自然が圧倒的に美しいのが印象的だった。
人間の有り様には関係無くただ存在し、美しいと感じたり、癒されたり、或いは脅かされたり侵食するのは人間側で、自然は人間が何をしようと無関心にあり続ける。
少し前に描き上げた自分の作品に、海に関する言葉をタイトルとして付けた直後だったこともあり、そんなことが妙に気になった。
柳田