展覧会を見て思うこと。
8月ももう終わってしまう。
今年は特にお盆休みもなく、どこへ行くでもなく、
この季節特有の開放感とは裏腹に
淡々と日々を過ごしてしまったように思う。
そんな中、夏休みの宿題のような感じで、
気になりつつもずっとほったらかしにしていた展覧会に
ようやく行ってきた。
「金山康喜のパリー1950年代の日本人画家たち」
世田谷美術館
正直に言って、この人のことは全く知らなかった。
ただ区内のポスターを見る度に、
そのブルーの複雑な色彩と
デフォルメされた静物たちが織りなす洒落た画面に、
何か心の奥をざわつかせるものがあった。
さて、実際に行ってみると
やはり見ておいて良かったと思う。
金山は25歳の時に渡仏。
藤田嗣治や当時パリに留学していた
他の日本人画家と交流しながら活動し、
順調に画家としての道を歩んでいた。
しかし一時帰国のつもりで滞在中だった日本で
33歳の若さで急逝してしまう。
展覧会では金山のパリ以前と以降の両方の作品を見ることができた。
両者を見比べると環境というものは
やはり作家に多大な影響を与えるものだと、
つくづく感じてしまう。
静物画というスタイルは変わらないものの、
その色彩の透明感が渡仏を境に全く違うのだ。
修行のためにパリまでやって来て、
同じ思いを抱いて共に生活した仲間と交流し、
そこで触れた新鮮な空気、期待と高揚感などが、
絵具の透明感とより洗練された構図として
作品に表れたのではないだろうか。
数年前の自分と重ね合わせ、解説文に登場する懐かしい地名を読みながら、
もし金山が生き続け、その後もパリに留まっていたとしたら、
一体どんな作品を生みだしていたのだろう?と想像してみる。
さらなる発展を遂げて傑作を描きつづけたのか、
或いはこの時期が最高潮で
あとはマンネリとの戦いに苦しんだのか、
結果は知る由もない。
一つのスタイルを維持し、繰り返し描き続けることは
探求という点ではとても大切な姿勢である。
反面、そこから抜け出せず伸び悩んでしまう危険性を孕む。
その狭間で揺れ動きながら、
それでも描き続けることが絵描きの運命なのかもしれない。
ここ最近、不安にも似たモヤモヤとした気分の正体が
何となくわかったような気がする。
果たして自分はどうなっていくのか。
答えを見つけるには、やはり描くしかない。
夏休みの最後に大きな宿題を与えられたようだ。
孫崎