我が家には2匹の猫がいる。
1匹は今年の8月に来たばかりで、先住猫との折り合いが微妙なのが悩みだ。仲良くして頂きたい。
意外と人間の会話をよく聞いているようだ。気ままなようでいて、思わぬところで空気を読んだりする。時折、思慮深い不思議な目をしている。
絵画にも猫は度々登場する。猫を好んで描く絵描きは多いように思う。彼らもそんな愛らしいだけではない猫の神秘性を感じて多く自分の作品に登場させているのではないだろうか。
毛並みの手触りも良いし、姿も愛らしく美しい。が、目下の悩みは自分のアレルギー体質か。とくにここ数日は季節柄も相まってか、くしゃみ鼻水が止まらず非常に苦しい思いをしている。それでも寄ってきて甘えられると無下に出来ない悩ましい日々が続いている。
そもそも猫の話題を上げたのが、藤田嗣治の絵を観たからとかではなく、鼻水と涙が止まらず苦し紛れで、というのが何とも虚しい。嗚呼…。
柳田
明珍火箸 「みょうちんひばし」と読む。
夏が苦手である。夏の暑さは得意ではない。
が、夏の風物詩である風鈴が昔からなんとなく好きだった。
中学の修学旅行で行った岩手で購入した南部鉄の風鈴を我が家ではずっと愛用してきた。見た目の涼やかな江戸風鈴のガラスの容姿も魅力的だが、南部鉄の澄んだ音色が、茹だるような暑さをふと癒してくれる気がして、夏になると風の通り道にぶら下げている。
さて、明珍火箸である。
明珍家は兵庫県姫路の元々は平安時代から続く甲冑師の家で、明治維新後はそれまで余技だった茶室用の火箸の製作に転じたらしい。現在はその火箸を4本ぶら下げた火箸風鈴を製作し、姫路の伝統工芸品となっている。
何年も前にテレビでこの火箸風鈴が紹介され、テレビ越しにだがその音に魅了された。
私の祖母の実家が姫路で、趣味人だった曾祖父がまだ風鈴としての火箸が製作されていない頃から、明珍火箸を吊り下げて音色を楽しんでいたらしい、と火箸に興味津々な私を見て母が教えてくれた。益々興味が湧いた。
そして数年前に関西方面に行った折に、思い切って姫路まで足を伸ばし妙珍本舗に赴いた。
小さな工房であった。まだスマートフォンなど持っていない頃に道に迷いつつ訊ねていった。まるで何年も片恋をしている相手に会いに行く、と言ったらさすがに大袈裟だが、恋少なき私にとってはそれに近い心持ちであった。
明珍火箸は鉄を打って作られている。その火箸の風鈴の音色は実際に聞くと思っていたより低音なように聞こえたが、機械越しの音声ではわからない音の幅があり余韻がある。たぶん以前にテレビで聴いたのは玉鋼を使用した稀少なもので、ちょっと私の懐では手の出ないものだった(片恋はまだ続くらしい)が、いくつかある火箸の中から音色を聞いて気に入ったものを一つ購入してきた。
打ち込まれた鉄の音色は澄んでいて、不思議な余韻がある。南部鉄の風鈴ともまた趣のことなる音色で、中央にぶら下がる舌(ぜつ)が微かに触れるだけで涼やかな音を奏でるのが、微風を感じられて心地好い。
本来、冬の道具である火箸を夏の涼を得るものとして使うというのも何だか面白い。
涼しく過ごすには冷房をつけるに越したことはないのだが、「涼を得る」という言葉にはこんな些細なことが合うんじゃないかと、暑さでグダグダしながら考える。今年もまだ暑さは続きそうなので、もう少し火箸にわずかな涼を求める日が続くようだ。
柳田