5月8日の月曜日。手の甲に何かが動いている気配がして目が覚めた。目を凝らして観る。凝らして見ないと分からない生まれたばかりの蟷螂《カマキリ》だ。僕の手の甲で、ムズムズと張り付く感じで蟷螂《カマキリ》3~4匹が斧を振り上げ振り下ろしている。事はわたしの寝床で起きた。身に掛かる毛布の先々に目をやる。スロモーション動作で起きあがる。すっかり眠気がとんで全体覚めてしまった朝。
翌日の火曜日。今朝も蟷螂《カマキリ》の斧とカマ。半透明であまりにもちぃっちゃ体つき、それでもしっかりとしがみ付いて執拗だ。赤ちゃん蟷螂《カマキリ》の世の中に出たいきさつをアレコレ考えた。
確かに、去年の秋にアスファルトの道路で1匹の蟷螂《カマキリ》を、独り斧、カマを振り上げていたのをしばらくは見た事実。自宅に持ち帰った事実。私の蟷螂《カマキリ》の話から、知人が枝付きごとくれたシルバーホワイトのようなくすんだ白い塊の巣をくれた事実。今年の春か?
5月10日水曜日。またまたまた!二の腕に上がって来る気配で目が覚めた。数が倍になっていた。これは流石にちょっとシンドイ気分。白い塊は外の日陰に移した。カマキリ同士が番(つなが)って
いる風景。
その日の午前中早く家を出た。地下鉄丸の内線御茶ノ水駅で降りてそれから神田神保町の古本街に向いてブラブラ歩く。関東大震災後も店舗連なり残ったところ十字屋さん前で足が止まる。店にたつ婦人の佇(たたず)まいが好きだ。十字屋さんの書棚はすでに3分1が空になっている。この店のこの状況では未来は厳しい。現実をあらがっても見えるが、わたしは諦観した静けさを感じ、むしろ、身をまかせている感じがする。この潔さと婦人の眼の強さに会いたくて来てしまう。魅きつけてやまない。
私は店舗入口すぐの書棚から、串田孫一著の新刊を開いた。
支払いを済ませて「また、お店に寄らせてもらいました」と婦人に挨拶した。お客は僕ひとり。眼の前の今日の婦人は饒舌だった。今は、本のカバーは紺一色になった事、3階は開かずの扉、急な階段の昇り降りの様子。以前聞いた話が重なっても、ちっとも飽きない。
時間があればいくらでも、彼女の話を聞いていたいが、わたくし事の時間が押して来たので、仕方なく、そこを納めた。「また、寄らせてください」と店を出た。
串田さんの地球人生89年。購入した本の著作者・串田孫一さんは2005-07-08に亡くなっている。『緑の色鉛筆』の新刊本のページを捲(めく)ると串田孫一さん自身のカット絵が出て来る。左ページ下に堂々と2匹の蟷螂《カマキリ》が現れる、そのページに目がとまる。
2017年5月。出会いというより出会わせてくれた。蟷螂《カマキリ》の斧が、わたしの・・・地球人生の空に入ってきた。
佐藤
奥井 さま
ご無沙汰しています。
2016年の暮れ28日、競輪の祭典「ガールズグランプリ2016」を見ました。私自身が驚く、信じられない大きな声を出してしまいました。
フェイスブックで奥井さんのお嬢さん迪(ふみ)さんが、女子競輪選手であることを知りました。一度もお嬢さんにはお会いしたことはありません、多少うかがっていただけでした。この日は、教員を辞めて競輪選手になった迪(ふみ)さんの応援です。
立川競輪場では、私のような手作り応援ダンボールプラカードは、誰ひとりありませんでした。係員からはまわりの人に迷惑にならない邪魔にならないなら掲げてよいとのことでした。私の居場所は人数の少ないゴールには程遠いところになりました。
強風のため、女子競輪は強風仕様の自転車になりました。スタートしました。
迪(ふみ)さんは一周目は後方につけています。今、僕の前を通り過ぎました。迪(ふみ)ちゃんー!とわたしより大きな声で応援する女性がいます。列は揺れ乱れ、迪(ふみ)さんが先頭位置です。でも、まだ残り一周もあります。
迪(ふみ)ちゃんー!!迪(ふみ)ちゃんー行けー!!僕の声は精一杯です。先頭は迪(ふみ)さん、譲りません。そして、最後の最後、ゴールで他の選手に差され抜かれてしまいました。2着ゴール。
ゴールを駆け抜けた女子選手の塊が近づいてきます。今、私の場所からは、強風をまともに受けるかたちになります。女子選手みんなゼイゼイとした息、下を向いて顔が上がりません、固まり一群のゼイゼイが伝わり聞こえてきます。ペダルを踏んでいるのは太腿でした。迪(ふみ)さんの腿は胴回りのようなパンパン太腿でした。選手の肩ごし背中に「ご苦労さーん」と私は声掛けになっていました。
2016年7月17日(日)は私の個展展示初日でした。そして、この日、奥井理(みがく)さんが亡くなった日と重なりました。半分偶然で半分は必然かもしれません。
理(みがく)さんが生きていたら、どんな話をしてたのでしょう、今でも、理(みがく)さんに会いたいと思っています。20年の歳月が過ぎてもあんまりですね。
詩人まどみちおさんは「宇宙人生」を言いました。奥井理(みがく)さんは「地球人生」と言いました。彼等の言葉はますます私の中の奥の奥に住みはじめています。
理(みがく)さんの妹さんがこんなに立派に私の前にあらわれました。妹迪(ふみ)さんは大したものです。勝負には負けましたが、誰よりも強風を受けても真っすぐにゴールを目指しました、真っすぐの意味を強烈に私にしめしてくれました。
奥井 さま
2016年12月28日立川高松町に吹く風を恨めしく思ったことはありません。
最後になりましたが、私の持参したダンボール手書き応援プラカードの文面は次のようなものです。
迪さん! ! 理は見たぞー!見てるぞー!
佐藤
前回まで「ぼんやり」というので書かせてもらった。
10年程前から生きていることは、出会うこと巡ることとぼんやり考えはじめる自分がいる。
この出会う巡るという題なら、湧き出てくるような「かたちびと」に会えると思いました。
嬉しいような嬉しくないような、時に矛盾を抱えてやって来てしまう「かたちびと」に、また、会いたいと思う。
生きるとは出会うこと巡ること。
わたしはどんな景色、人、もの、事を見ているのかあらためて思っている。
2016年、この神田絵画教室の縁で、エゾ鹿肉をいただいた。
冷凍された鹿肉の中に心臓の部位があった。片手にあまる部位、その大きさに感動した。北海道の背骨、日高や石狩大雪(だいせつ)を駆けて行った大地の主のような大鹿を想った。
30年程のことが想い出された。
Kおじさんが運転する車で、早朝5時に森町を出発した。
目的地は釧路。
森ー室蘭ー日高ー狩勝峠ー帯広ー釧路までの行程は夕方までかかった。
肉の焼ける匂いが北海道気分が部屋いっぱいに拡げる。
北海道の様々な道行きの景色と重なり出した。
食べきれない肉は冷凍室に入れた。
肉を取り出すごとに、久しく食べものが生命という戴きものだと感じさせてくれた。
自然手を合わせてしまう。
「いただきます」という声になった。
いつもより強いものになりました。
年が明けた2017年1月26日。
姉との電話のやりとりで「Kさん、Mさん亡くなったよ」、「あなたは何にも知らないでしょ」と知らされた。携帯電話をしばらくテーブルに置いた、携帯電話カバーの黒色がうらめしく思えた。
ああー(腹に力が入りません)、わたしのふるさとがまたひとつ無くなって行きました。
親しいひとたちが手の届かない遠くに行く。
お世話なった。
Kさんはもう何年もお会いしていないが、車が大好きでとてもお世話になった身近な男。
釧路まで車で連れて行ってくれた人。
Mさんは、わたしが帰省すれば必ずいつもにこにこ一言声をかけてくれる近所の幼なじみのお父さん。
何がどうしていいのかも分からないが、急がないでほしい。
どうかしばらくはわたしの中で留まっていてほしい。
いつも、わたしのこころの部屋、お宿はあけておきますので、留めてほしい。
神様どうかお願いします。お願いします。
冷凍室の隅にまだエゾ鹿の心臓がありました。
ありがとう。
有り難くいただきますから。
いつの頃から、うまく言葉にできないが見える見えない世界関係が陸続きのように感じている。
面白いと思う。
わたしの感情を介して、日常の出会うかたちに何が起こっているのだろうか?
佐藤