「66,666Km」。数字をみていたら、このままこの車で岩手(いわて)に行きたくなりました。今回、車の距離メーターが示した場所は西東京16号線ですが、乗っている車の距離メーターの半分は東北岩手(岩手)で記録しました。
橋に架かったらワイパーがせわしなく動いて、辺りの景色は白く霞んで見えません、見えるのは前を走る車だけ。雨が止んで、北上川の佇まいを車中から眺めた。見えて来た北上川は黒く、ところどころ白く光って見えます。遠くの空が明るくなって来ました。北上市の街はこの川の先にありました。
岩手に行きたいと思いました。また東北の空をもっと近くに感じていたいと思いました。
「9,990円」三十年前のこと。兄から子供の子守を頼まれた。兄夫妻はお嫁さんのお母さんがよく子守のために動いてくれて、、、それでも人手が見つからないと時僕を呼んでくれました。子守というのは名ばかりで、いつも姪っ子二人と一緒になって遊んだというのが正しいと思います。その日のお昼は指定された焼き肉店へ、(こんなお昼もあるのかと思いました。)言われるままに兄からはすでに一万円を預かっているので、三人で美味しいのをいっぱい食べようと算段しました。本当にいっぱい食べて最後はワカメスープで焼く肉の食事会をしめました。お店を出る時の支払い合計が、きっちり「9,990円」。「叔父さんスゴーい!」上のおねーちゃんから声を掛けられました。だいたい私はいい加減で計算出来ない男です。ただただ彼女たちが焼き肉いっぱい食べたよーと、お父さんお母さんに言って欲しかっただけです。
後で兄から丁度の勘定のことを言われました。こういう事もあるのだと思いました。
連続する数字との出会いを楽しみたいものです。連続の音も気になります。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを思い出します。ホルンの音で明ける「美しく青きドナウ」もよく澄まして聴けば、まずヴァイオリンのジリジリジリジリとした音ではじまります。感じ動きます。
写真は「わかば」というタバコの銘柄です。近くのコンビニで「『わ・か・ば』ください」と言って購入しました。数字でやり取りするのではなくて「わ・か・ば・ください」と先ず名前で呼んでみたかったのです。
購入の際は番号で呼ばれています。やはり、私の中ではいまでもしっくりしていません。番号で呼ばれるからでしょうか。私の中学時代の事です。中学一年B組でした。担任は笠井先生です。大学を出たばかりのメガネの男先生英語先生でした。いまでもハッキリ教室でのはじめての挨拶を一行憶えています。「笠井と言います。大学では仲間から「わかば」と言われていました。いつも「わかば」を吸っていたからです。、、、」先生はニコニコと話しても教室の生徒だれ一人笑いませんでした。
私の遠い空の話です。
佐藤
私は蝉(セミ)が降るところに住んでいます。駅には、セミの啼き声の中をくぐってだどり着く感じです。引っ越しして数年経ちますが、夏のこの日常にいっこうに慣れません。慣れないことをいいことに楽しみはじめている自分がいます。
最近の私は四季日常は月見をしながら 、今日の出来事をしまいこむように家路を急ぐこともあれば、月の光に照らされてか、よすがの在りどころを知り明日の力(ちから)をもらうこともあります。つまり私の毎日は日々いろいろなのす。
とりわけ、この街の一口蝉(セミ)が加わる夏は、夜の駅周辺や交番うえの駐輪場はとてもユニークな場をわたくしに与えてくれていています。
駅ホームに転がる蝉(セミ)はいつ誰かに踏まれてもおかしくありません。大体うつ伏せになっている蝉はまだ啼くことも飛び跳ねることもあり最後の力を残しています。それに対して仰向け状態の蝉はいけません、動きません。だたの抜け柄は人に抵抗しないのです。
あらためて、2018年の夏からこの街の蝉(事情)が変わると思われました。
この町の地上から、ある場所、起点にして約半径1キロメートルの円を描くとします。慣れない土地でごめんなさい。
その引かれた円内周辺いには二つの小学校、二つの中学校、そして、二つの高校があります。そして、避難公園があり航空基地があります。円の中心起点を合わせると六つの学校の敷地のどこかが円内に掛かるのです。ドローンを上空に飛ばして見てみたいものですが、その円内に避難公園と航空基地も掛かるので、そうも行きませんネ。現実です。
こんもりとした蝉の聖地の森は、整地前の上記の基地の中の雑木にあると思われます。
この夏は遠くでシャベルの音が聞こえて来ました。囲いの中の空が広がったのは、樹々が根こそぎ無くなり整地されたからでしょう。あっと言う間に森が中剃りされました。聖地から拡張整地へと姿を変えました。2018年9月16日日曜日の朝の時間を持って、蝉の啼きは終わりました。この夏も駅ホームの早朝のウグイスの啼き音にはじまり、そして、蝉の合唱に終わりました。しかし、この夏から何かが変わりました。
9月20日金曜日囲いの側に走る歩道に踏まれたカマキリがありました。明日を憂いたのでしょうか?ひとり向かい闘ったかたちにも見えました。
写真は入間市:台風21号の爪痕を刻んでもスッキリと立つ芭蕉。その昔恐竜だったかも知れません。「ユメカシーラ」という歌を思い出しました。歌は巡りますネ。
佐藤
写真は、お茶の水:サイカチの青い鞘
7月1日の日曜日。神奈川県の津久井湖にあるTさんの家に伺うことが出来ました。その日は茹だるような暑さでしたが、車に同乗させてもらい、むしろ、早朝からの移動でしたので気分は爽快でした。
津久井湖を見下ろす場所にTさんのお家があります。二階台所、目の前に鳶(トビ)は輪を描いたり止まったりと・・・津久井湖から吹きあげる上昇気流にのって飛行しています。トビ目線と同じ高さの場所にあるお家からは遠くに丹沢の山並みが見えます。とは言え、霞んだら霧の中の一軒家でしょうか。
台所からの窓枠は絵の額に似て、飽きない風景を更新してくれています。眺めつつ、Tさんから当地のサル被害の話を私はボンヤリと聞いていました。
その家の玄関の横に榎の大樹があります。直射を避けてのスケッチが始まりました。榎の木とわたしの間の空間を切るような気配、私の左手側からあらわれたのは大きな羽をひろげる蝶、見たことがありません。バサリバサリと舞い上下しています。木の根元に留まりました、そして、また再びバサリバサリと動き出す蝶。
後で、Tさんからその蝶がオオムラサキ蝶であることを教えていただきました。初めての出会いでした。
6月7月はなぜか画家の宮崎進さん、その前月、4月5月に白州正子さんのお能の本:梅若実聞書などで私なりのボンヤリ絵描きさんとボンヤリと能楽師のことを思い過ごしていまいた。
今は、オオムラサキ蝶がまるで地球人生でのお能を舞い、淡々と自らの衣装柄まで私に見せて踊り尽くしてくれたと思っています。
中空を泳ぐように描き留めた宮崎進の世界は、彼のこの世界で見たことの、いつかどこかで現れは消えて行ったひとや光を確かに求めたと思っています。
2018年、この夏わたしにこの世、この世界を見るということを考えさせて来れました。この世界に生きていること、この世界への佇まいや生きている意思のエネルギーを思います。その反映や衝動がどうしても表現することへと導きだす枯らすことのない湧水ではないかと、ボンヤリですが私に力強く確かに思わさせて来れました。
感謝いたします。
佐藤