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松本竣介(1912~1948)という絵描きさんがいます。2015年8月末に、彼の描いた風景の地を私は訪ねました。
『市内風景』と題された油彩作品は1941年(昭和16年)に描かれました。その場所は東京・神田/一ツ橋講堂と如水会館の裏手にあります。丁度私の背に首都高速道路がかかります。竣介が見た当時の建物も空もありませんが、わずかに湾曲した手前の道路が、名残を留めています。
お昼時と重なりました。見る見る白ワイシャツの集団が出来ました。紫煙をくゆらせて和んでいます。女性は一人、紺のジャケットを羽織りこちらを見ています。この集団の顔の照りやいっぷくの笑いは、陸にあがった亀のように見えました。しかし、何故かこの日常の形はとても大切なものにも、私は感じました。湾曲道路のプラタナス(街路樹)の葉はシンナリとしてありました。
その後、私は御茶ノ水駅聖橋に向かいました。
『並木道』という絵は1943年(昭和18年)頃の作品です。画面の色調や形態は、彼の詩情が織りこまれたものと思います。画面中央の街路樹のスケールに私は圧倒されるばかりです。
目の前の街路樹のイチョウの木を画面のそれに似せてもいます。次に、左手の方の紅梅坂を見やりました。全体、自然にJR御茶ノ水駅聖橋口に私の目は合わせて行きます。あっという間に時間が過ぎました。とても有意義な場所に立たせてもらいました。変わらずにある御茶ノ水駅の駅舎の高さには、いつもに増して感謝してしまいました。
ぼんやりした私の気分は、画面右下にある、普段は決して通ることはない幽霊坂に向かわせました。
(佐藤)
謹啓
この度、上野桜木の櫻木画廊で展示/「東京」ノート、「岩手」ノートその2(2015.09.08~09.20)発表することができました。御足労ねがいました。ご覧いただき厚く御礼申し上げます。
2015年8月
佐藤比呂二
佐藤比呂二 展
「東京」ノート、「岩手」ノート その2
黒曜石も瓦もクルミも山栗も、
トンボもカマキリも狐も象も、
とまると、近づいてくる。
樹木も枝も葉も人も花もつめくさも、
とまると近づいてくる。
月も星も昨日も、
とまれば、近づいてくる。
・・・・・・
とまると動き出す。
2015年9月8日 佐藤 比呂二
昨年のあかね画廊に続き、このたび、櫻木画廊にて展示をさせて頂く運びとなりました。お近くにお越しの際は是非お立ち寄り下さい。
佐藤比呂二 展
「東京」ノート、「岩手」ノート その2
櫻木画廊 sakuragi fine arts
2015年9月8日㊋〜9月20日㊐
11:00 – 18:30 (最終日は17:00まで) 月曜日休廊
〒110-0002 東京都台東区上野桜木2−15−1
03-3823-3018
<アクセス>
JR各線 日暮里駅南口より徒歩10分
東京メトロ千代田線 根津駅1出口または千駄木駅1出口より徒歩13分
Web Site http://www1.tcn-catv.ne.jp/sakuragi_art/
Facebook https://www.facebook.com/SakuragiFineArts
松本竣介(1912~1948)という絵描きさんがいます。作品の中に「Y市の橋」というのがある。魅せられて、出来ればその現場に立ってみたいと思った。かれこれ30年前の話である。
教室の生徒さんに横浜の港風景を描きすすめているひとがいます。勝呂さんです。勝呂さんは生粋の横浜ッ子で、「Y市の橋」はよくご存知です、場所も知ってますよと私に教えてくれた。勝呂さんはプロのガイドのよう。橋のことは言うに及ばず街の概要や変遷を印象づけて話してくれる。たまらず私はまるで修学旅行のようだと叫んでしまいました。
東神奈川駅から始まり、横浜、桜木町に向かう行程予定である。我々の歩行の軌跡は海岸線に沿って動いたので、烏口定規で引いた太い弧を描くように進んだ。冬日和にかかわらず温かく優しく撫でる様な浜風は、私は少しエロチックにも感じた。
手前奥が現在の月見橋。「Y市の橋」を求めてここまで来たが、描かれた当時の面影はない。正確には1944年5月29日の空爆で焦土となり、跨線橋の梁も落ちてこの日消えたのだ。
今、私はここから隣りのJR横浜線の線路を仰ぎ見た。架線向こうの空まで見やった。
私は何を見ているのだろう。無意識の世界なのか恣意的なのかよく分からないが、昔からぼんやり見ている、ぼんやり考えている、ぼんやり思っている。
月見橋を去る時に、私の胸の内は、また来るねと言う。月見橋に、自分に、一体誰に言っているのだろうか?過去も現在も未来もぼんやり見てみたいのは変わらないのに。
佐藤