「お仕事何されているんですか?」
初対面の人にこう聞かれると、
いつも答えるのに、もごもごしてしまう。
「絵描きのようなものをしています」
なんとも歯切れが悪い返事だ。
「画家です」と言い切るには
何だか気が引けてしまう。
ましてや「芸術家」「アーティスト」だなんて
口にするだけでも奥歯が痒くなるぐらい恥ずかしい。
そもそも画家って何だろう?
と考えてみる。
”画家”
絵を描くことを職業とする人、絵描き(広辞苑)
現実には絵を描くことだけで生活している人は
ほんの一握り。
多くは他に教師や講師、
まったく関係のないアルバイトなど
兼業している人がほとんど。
むしろ画家としての収入は皆無に近いことも。
果たしてこれで画家を職業として
名乗って良いものか・・・。
先のフニャフニャした私の回答も
こんな所に依る。
ちょっと調べてみたところ
村上龍氏の「13歳のハローワーク」に
画家についてこんな記述があった。
「画家にとって、もっとも大切なことは、
絵を描き続けることである。(中略)
何でもいいから、とにかく描き続けることだ。
絵が売れても、売れなくても、
絵画表現の意欲と喜びとともに、
何年も何十年も絵を描き続けることができれば、
その人は画家である。」
また、故・堀越千秋氏が
以前エッセイにこんなことを綴っていたのも
記憶している。
「絵描きとは、絵が好きなわがまま者が、わがままを貫き通して死ぬまでの名前です」
どうやら画家というのは、
職業というより生き方に近いような気がする。
だから「絵描きのようなもの」という
曖昧な受け答えは
あながち間違っていないのかも知れない。
とは言え「のようなもの」なんて付くと
じゃあ何なんだ?となってしまう。
そんなわけで、最近は職業を聞かれたら
こう答えるようにしている。
「絵を描いています」
この方が何だかスッと自分の中で腑に落ちる。
どのみち質問した人が受け取る内容は
そんなに変わらないのだけれども・・・。
孫崎
第70回記念 立軌展
日時:2017年10月31日(火)~11月8日(水)まで(※初日14時~ ※最終日14時30分まで)
9時30分~17時半30分(入場は閉会30分前まで)
会場:東京都美術館 ロビー階 第一展示室 ※月曜休館
ギャラリートーク
日時:11月4日(土)14時30分
会場:東京都美術館講堂
http://ryukikai.jp/
昨年より同人として出品しております。
今年は70回記念展ということで、
ギャラリートークも大々的に行われる予定です。
ご興味のある方は、ぜひご参加ください。
私は今回も100号の油絵2点を出品しています。
相変わらずギリギリまで制作してからの搬入。
すでに一ヶ月前に搬入を済ませているので、
私自身も会場で久しぶりに自作と対面です・・・。
会場にいることもありますので、
その際はお声がけ下さい!
たくさんの方にご高覧いただければ幸いです。
孫崎
7月も終わり。
絵画教室に通う小学生たちは、先週から夏休みに入り
1ヶ月という長い長い休暇期間を
これから存分に楽しむのだろうなと
少しずつコントラストがはっきりしてくる
日焼けの跡を眺めながら想像する。
自分が小学生の頃はどうだったろう?
田舎に帰ったり、旅行に出かけたり、イベント盛沢山。
9月の新学期なんて、遠い遠い先のことのように
感じていたような気がする。
大人になった今はと言えば…
1ヶ月なんてあっという間。
秋の展示に向けて〆切が迫ってくる夏は
むしろ恐怖でしかない。
同じ1ヶ月という期間のはずなのに、
どうしてこうも時間の流れ方が違うのか。
一説によれば、その人が生きてきた年月に対して
時間の感じ方はこんな風に変わってくるのだという。
子供は生まれてからの時間がまだ少ない。
現在までの人生の時間を分母に、
1ヶ月を分子にしてみると
分母に対する分子の割合はそこそこ大きい。
一方で大人は、人生の時間が子供よりずっと長い。
分母は大きくなるが、分子となる1ヶ月は変わらないので
その結果、分母に対する分子の割合は
子どもに比べてぐんと小さくなる。
これが大人になるにつれ(年を取るにつれ?)
年月が早く感じる仕組みなんだとか。
そう言えば、パリにいた3年間。
もちろん絵も描いたけれど、
美術館を巡り、国を巡り、人と出会い、交流し
その3年という期間がとても長く感じて
当時は「人生の夏休みだ!」なんて言っていた。
けれども今は、3年後なんてすぐ目の前にあることのように
計画を立て、予定を考えて仕事をする。
過ぎ去った3年間なんて言わずもがな。
着実に年を重ねているという現実が
図らずも突き付けられたのである…。
先の分母と分子の理論からすれば、
人生の夏休みだなんて、
もうこれから来ることはないのかも知れないなぁ。
なんだか郷愁にも似た懐かしみを思い出しつつ、
つらつらと考えていたら、
またあっという間に時間が過ぎていくのである。
孫崎