出会うこと巡ること・・・「2018年の7月の空」(佐藤)
写真は、お茶の水:サイカチの青い鞘
7月1日の日曜日。神奈川県の津久井湖にあるTさんの家に伺うことが出来ました。その日は茹だるような暑さでしたが、車に同乗させてもらい、むしろ、早朝からの移動でしたので気分は爽快でした。
津久井湖を見下ろす場所にTさんのお家があります。二階台所、目の前に鳶(トビ)は輪を描いたり止まったりと・・・津久井湖から吹きあげる上昇気流にのって飛行しています。トビ目線と同じ高さの場所にあるお家からは遠くに丹沢の山並みが見えます。とは言え、霞んだら霧の中の一軒家でしょうか。
台所からの窓枠は絵の額に似て、飽きない風景を更新してくれています。眺めつつ、Tさんから当地のサル被害の話を私はボンヤリと聞いていました。
その家の玄関の横に榎の大樹があります。直射を避けてのスケッチが始まりました。榎の木とわたしの間の空間を切るような気配、私の左手側からあらわれたのは大きな羽をひろげる蝶、見たことがありません。バサリバサリと舞い上下しています。木の根元に留まりました、そして、また再びバサリバサリと動き出す蝶。
後で、Tさんからその蝶がオオムラサキ蝶であることを教えていただきました。初めての出会いでした。
6月7月はなぜか画家の宮崎進さん、その前月、4月5月に白州正子さんのお能の本:梅若実聞書などで私なりのボンヤリ絵描きさんとボンヤリと能楽師のことを思い過ごしていまいた。
今は、オオムラサキ蝶がまるで地球人生でのお能を舞い、淡々と自らの衣装柄まで私に見せて踊り尽くしてくれたと思っています。
中空を泳ぐように描き留めた宮崎進の世界は、彼のこの世界で見たことの、いつかどこかで現れは消えて行ったひとや光を確かに求めたと思っています。
2018年、この夏わたしにこの世、この世界を見るということを考えさせて来れました。この世界に生きていること、この世界への佇まいや生きている意思のエネルギーを思います。その反映や衝動がどうしても表現することへと導きだす枯らすことのない湧水ではないかと、ボンヤリですが私に力強く確かに思わさせて来れました。
感謝いたします。
佐藤