展示を見る(佐藤)
二人展の展示が、4月4日(土)から開催ではあったが、新型コロナ禍で自粛要請があり、広報は止まった。
相模原市民ギャラリーのスタッフは随分と二人に気を使ってくれた。
いつも以上だったと思う。
期間延長を検討して、その都度、メールで連絡をくれた。
自粛が明けても、作者は展示会場に詰めなくてもいいですよ・・・とのこと。
やんわりと人が集まる事を避けてほしい事情もわかった。7月31日(金)展示は終わった。わざわざ富山・黒部市からこのために来てくれる人があった。
7月10日(金)野見山暁治展に行く。
田園調布の一軒家で住まいの中に施設された画廊。
玄関で消毒し、そして検温される、スリッパは使い捨てであった。
「姫島」素描をここで見ることができた。
《野見山暁治の風景デッサン》(河出書房新社)の中で、この姫島のプロセスをこの本で知った。
あの時の野見山さんは50代、パリから帰る時、何よりも窓から見ていた風景を持って帰りたいと痛切に思ったという言葉もあった。
姫島を彼は上半身裸で描いていた。
彼が風景と向きあって入って来たり離れたりする様相を、ダイレクトに感じ手に伝えられるスゴサというか羨ましさというかーみせつけてくれた断片デッサン。
そして、ここでまた、姫島を見れるとは思わなかった。
本とは違って、額装の中の姫島は本とは違ってツンとして見えた。
8月。
今年も帰省しないでお盆が過ぎた。
部屋にお盆飾りをした。
ゆっくりしてお帰んなさいと声をかけた。
母の好きなアンパン、お酒は父 いつものお盆かもしれない。
暑い夏。ピーター・ドイグ展を国立近代美術館で見る。
展示会場が空いているのが良かった。簡単に真似ちゃいけないなと思って帰る。
絵は人かもしれないと思う今日この頃です。
蝉の話し。
ここ2年。郊外の木々が切られ基地が拡張しするばかり。蝉が本当に少ない夏だった。
2年前はあれほど駅構内に入って来た蝉たち。その様相は今後二度と見ないであろう。
今年の最後のに見た蝉は、帰途深夜。
光陽橋の駅寄り、仰向けになっっていた。近ずくとお腹から黄色かかった体汁が出ていた。
人が踏んだのだと分かった。
(佐藤)