出会うこと巡ること・・・その4(蓴菜《じゅんさい》)(佐藤)
冷蔵庫の中に【蓴菜(じゅんさい)水煮】の瓶がある。栓を抜かないでそのままにしてある。ラベルに印字された賞味期限は2015、7、1。
7月の末、東京武蔵野美術学院の前学院長の田村直樹先生にお会いすることが出来た。友人の絵描きさん細川貴司さんがこの機会を用意してくれた。
25年が経っていた。
田村先生は会うなり、うなぎ蒲焼を食べに行こうという。国分寺駅南口徒歩1分の《天松》に連れて行く。随分と長い間ご無沙汰していているので緊張するが、何を話していいか分からない。着くなり生ビールを注文してくれ「お疲れさま~」の乾杯で始まった。
自分の話をしてくれた。兵庫県の上の方の田舎で生まれ育ったという。子供時分は親父に連れられて、うなぎの罠を仕掛けて獲ったという。高知出身の細川先生も仕掛けに詳しく、二人で両手を広げてかたちや大きさを示してくれる。田村先生は取り逃したうなぎを目の前にある様に破顔一笑して話すので、話に飽きがこない。
鮎、うなぎ、ヤマべのこと。飼ってたニワトリがイタチに首をとられたこと。カワウソが出て来たのには驚いた。絶滅種のカワウソをじっさいに見たひとがここに居る。テーブルの真向かいに座っているひとがそうだ。その事も何かとても嬉しく感じられた。獺(かわうそ)の祭と書いて【獺祭(だっさい)】というお酒がありましたネと言ったら、田村先生献立表を開きながら「獺祭ある~」、「呑もう呑もう」と田村先生直ぐに注文してくれた。「美味しい」と細川さんが声に出す。私は頷いた。
田村先生は初め建築ではなく、絵を目指したのだということも教えてくれた。三人はどうしても話が絵の関係、美術関係者になってしまう。私はたのもしいくらいに自然や河川、動植物、人とが豊かな空間を成していた時代が確かにあったことを出来ればもうしばらく聞いていたかっが、、、。田村先生は草取り片付けが大変で田舎の地所もそのうちスッキリしたいともいう。
「奥さんはお元気ですか?」と私は切り出した。
3年前に亡くなったという。私はボンヤリと色白で綺麗な顔が浮かんで消えた。知らないこと無沙汰を恥じるばかりだ。頭を下げた。
田村先生さらに【蓴菜(じゅんさい)】を注文してくれた。味付けされた、エビも一緒に盛り合わせて美しい。その小鉢の中の小さな粒の様なのが【じゅんさい】だ。この《じゅんさい】は私の知っている【じゅんさい】ではなと思った。これでは、喉ごしにかかる柔らかでなんとも言えないぬめりゴロゴロ感が同じだけじゃないのか?
形あっての世界に想いを馳せた。あの妙な形が、懐かしく、いい形として現れはじめた。
その時、女将がこの小さい【じゅんさい】が高価なんですよと教え示した。私は一瞬黙ってしまった。
田村先生は「女房は秋田出身なので、普段食卓にのぼる【じゅんさい】は酢漬けのシンプルなもので、添いものはあっても、、、」イメージを説明してくれた。田村先生の【じゅんさい】は愛おしいひとと繋がっていくものに感じた。
後日、冷蔵庫から【じゅんさい】の水煮の瓶詰めを見る。「あなたはオリーブグリーン色の妙な形のこの存在感に支配されたかったのでしょう」っと。【じゅんさい】の宿題はどうなったのですか。描かれたお茶碗の作品はいつ出来るの?・・・私の場合は再起動のスイッチを押してしまった様だ。
佐藤